ご挨拶

あなたとこのページで出会って、
大変嬉しいです。
祐本光男(すけもとみつお)と申します。

地球と馬と人が調和できる世界を目指しています。

競走馬の8割は競走生活を終えると、
殺されてしまう現実があります。
クラウドファンドで、1頭の馬に、
一生寄り添える仕組みを作ろうと決意しました。

「馬主のかたち競走馬たちの未来をつくる
馬主側からできること」
のクラウドファンディングで、
200万円以上の応援をいただきました。

競馬との出会い

1975年に立教大学に入学し、
音楽芸術研究会に入部しました。
新入生歓迎ハイキングの途中、先輩は、
ラジオを取り囲みボリュームを上げました。

それは、皐月賞の実況中継でした。
そして夜の宴会では、音楽の話より、
今日の競馬の話で盛り上がりました。

話に引き込まれた私は、思わず、
競馬、未知の世界。
見てみたいと口走知っていました。

初めての競馬体験は、
クラブの先輩に連れられて行った、
東京競馬場で開催の日本ダービでした。

人ひとヒトと凄く多い観客に驚きました。
後楽園や神宮の野球場の3倍位の来場者。
すべての人の目が、ダービに注がれました。

先輩が、優勝したクライムカイザー の
単勝で勝負して大勝ちしました。そして、
全員に寿司屋でご馳走してくれました。

その時の言葉は今でも覚えています。
「加賀(騎手)は、皐月賞をすてて、
ダービーで一世一代の勝負に出たんや!」

競馬の世界って深いんだと感動。その後、
授業の教科書はほとんど読まない私が、
競馬関係の図書は読み漁りました。

自宅は武蔵小金井にあり、
東京競馬場には、目と鼻の先です。
競馬開催馬は、毎日のように通いました。

大学時代、周りには競馬ファンが集まりました。
月曜からレース直前まで優勝馬を検討します。
友人もレース予想には独自の考えがあります。

時間を忘れて、レースの優勝馬を検討して、
友人とああでもない、こうでもないと、
議論を戦わせました。

経済学部に入学しましたが、
競馬学部を卒業したような、
大学生活4年間でした。

生涯で最も、一つのこと(競馬)を、
研究し続けた集中力が唯一の取り柄です。

30年勤めたサラリーマン時代

大学時代に京都に憧れていて、京都にある
宮内庁御用達第1号の一部上場企業に入社。
営業部門一筋に30年間勤め上げました。

20代で唯一、社長表彰を受けて、
30代、40代と最年少で課長・部長
系列会社の社長も経験しました。

24時間働けますか?CMが大流行の時代。
今の時代では考えられないほど、休日出勤当たり前、
なんと、未消化代休は400日を越しました。

そのような状況の中でも、入社依頼一貫して、
「ダービー」と「有馬記念」の日だけは、
休みをとりますと言い続け、実行しました。

学生時代の友人とは、大きなレースがある週末は、
下北沢の隠れ家に集まって、
閉店まで予想を続けました。

集まりの名称を、Turf Fanと決めて、
馬蹄形のマークの真紅のトレーナーまで作りました。
競馬場に行くときは全員でそのトレーナを着用しました。

第1回ジャパンカップが行われたときに、
パドックで私たちの真紅のトレーナー軍団が、
NHKでアップで放映されたそうです。

競馬を長く続けているいろいろなことが起きます。
この時は携帯電話がない時代、見たという親戚友人から、
電話が鳴りっぱなしになりました。

競馬ファンにとって有馬記念は特別なレースです。
出走馬がファン投票によって選出されます。
1990年のファン投票1位は、
オグリキャップでした。

しかし、オグリは馬券投票では4位の支持率でした。
多くのファンは、もうすでにオグリは全盛期の力がない、
有馬記念で優勝するのは無理だと考えていました。

ところがオグリは予想裏切り、先頭でゴールしました。
勝利後に18万弱の観客による「オグリコール」
競馬場の観客が一体にナゥっツア叫びが、
いつまでもいつまでも響き渡りました。

それまでのファンの気持ちが、
有馬記念を観戦することにより、
大きなこだまになり思い出に残った
瞬間ではないでしょうか。

スポーツとしての競馬は、
私にその時代その時代の思い出と共に、
心の中に刻まれます。

私にとって、競馬最大の魅力の一つです。

創業して一口馬主に

「日本の良きモノ・コト・ワザを世界に発信する」
を、企業理念に株式会社を創立しました。
パリのJapan Expoなど海外展示会出展、
新宿区創業セミナーの講演などを行いました。

創業と同時に、一生涯の夢である
一口馬主ライフを
スタートして、
地方馬主登録もしました。

初めて購入した愛馬は、ラブリリック。
北海道で育った彼女が船橋に入厩しました。
見学に行くと、頬をペロペロと舐められました。

それから私は彼女にメロメロになりました。
可愛くて、可愛くて、こんな可愛い牝馬が、
本当にレースで走れるのか心配しました。

彼女は、新馬戦で2着馬に7馬身の優勝
36戦して13回も優勝してくれました。
本当に、ビギナーズラックでした。

優勝をすると、口取りという、
騎手・調教師さんと記念撮影があります。
今でも、写真を見るたび優勝ゴールを思い出します。

毎年1頭ずつ購入して3年目。
新馬戦の直前にに骨折してしまいます。
1走もせず引退の悲しい知らせが来ました。

一口馬主とは、1頭の競走馬を口数で共有する仕組みです。
私は、最初は40口のクラブに入荷しました。
40人で割って共有しても、競走馬は大変高額です。

私は毎年1頭づつ3年間、2000万円の馬を、
一口50万円で購入していました。そのほかに、
毎年会費や飼育費などで、20万円位かかりました。

一口馬主クラブは、月に数回愛馬の情報が発信されます。
自分の子供の成長を楽しむように、愛馬の成長に、
一喜一憂しました。

持ち馬が1頭もいない生活は、
ぽかんと、穴が開いた気持ちになりました。

その時に、10社以上の募集馬のカタログを
取り寄せ、クラブごとの違い特徴を理解しました。
日々、馬体の見方、血統の相性など研究しました。

現材は、500口や2000口など、
1頭の経費負担を軽くして、
50頭の一口馬主ライフを楽しんでいます。

1頭でも多くの馬が天命を全うすることに寄与する

競馬は予想する楽しみがあります。
そして予想馬券が的中すると、
お金が増えることもあります。

現在は、調教師・生産者・馬主とも深く交流し、

みんなが楽しみながら長く続けられる、
一口馬主ライフを推進しています。

一口馬主としての夢は、ダービ優勝

そして、これからは、

1頭でも多くの馬が、
天命を全うすることに
寄与してまいります。